啓明舎(けいめいしゃ)|難関中学受験名門/子どもたちの成長のドラマ

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子どもたちの成長のドラマ

 いよいよ入試まで2か月弱。受験校を決定するための個人面談が毎日続いています。
第一志望校に合格する可能性がどのくらいなのか、確実な「おさえ」の学校はどのレベルなのかを話しているうちに、「こんなに頑張っているのに、どうして成績が伸びないんでしょう。もし××中にも合格できなかったら、どうしましょう……」と、目に涙を浮かべはじめるお母さんもいます。

生徒たちもようやく「受験モード」の顔つきになってきたのですが、頑張れば誰でも志望校に合格できるというほど、中学受験は甘い世界ではありません。本当に頑張っているからこそ余計に、志望校に合格できなかったときのショックは大きいでしょう。私たちにとってもその思いは同じです。
 「不合格だったらどうしよう。どんな言葉をかければいいんだろう」
毎年入試が近づくと、めっきり食欲がなくなり、夜中に合格発表の夢を見てうなされることも度々です。
 「毎年こんなお仕事をされてきて、よく身体がもちますね」と保護者の方に同情(?)されることも少なくないのですが、でも、やっぱり私はこの仕事が大好きです。

皆さんは『てんびんの詩』という映像作品をご存じでしょうか。商業映画ではなく、企業などの研修に使われるもので、演出とか出演者の演技とかはかなり素人っぽいのですが、個人的には、何度でも見たくなる感動作だと思います。


 主人公は裕福な近江商人の家の長男として生まれた12才の少年「大作」。時代設定はおそらく昭和初期でしょうか。大作は小学校を卒業した日、父親に「明日からこの風呂敷包みのものを売り歩いてこい」と命じられます。風呂敷包みのなかに入っていたのは、何の変哲もない鍋の蓋(ふた)。この日から大作は、着るものも食事も他の奉公人と同じにされ、毎日てんびん棒に鍋蓋をくくりつけて、「行商」を始めることになります。
 これまで何ひとつ不自由なく可愛がられて育ってきた12才の少年が、商いなどすることができるはずはありません。父親の店に出入りする業者や近所の知り合いの家に鍋蓋を売りに行くのですが、親の威光を嵩(かさ)にきて「鍋蓋買ってくれよ」と押し売りまがいの態度をとっては怒鳴りつけられ、「鍋蓋を売らないとご飯も食べさせてもらえないんです」と泣き落としにかかると、「嘘をついて、親を貶(おとし)めるとは何事か」と一喝されます。
 思い余って何十kmもの山道を歩き、幼い頃から可愛がってくれた叔母さんの家を訪れると、最初は「まあ、大作ちゃん。大きくなって……」と歓迎されるのですが、いざ鍋蓋を売ろうとすると、「それを買うわけにはいかない」と拒絶されます。もう日も沈みかけており、せめて家に泊めてくれるのではないかと期待していたら、「用がすんだらさっさと帰れ」と言われ、結局夜通し歩いて家に帰る羽目になります。

そんなある日、大作は農家の前の川辺にいくつかの鍋と鍋蓋が並べてあるのを見かけ、「もし鍋蓋を川に流したら、困って買ってくれるかもしれない」という邪(よこしま)な思いが心をよぎります。でも「この鍋蓋も自分と同じように苦労して誰かが売ったものなのだろう」と思い、自分の甘ったれた心を叱咤するかのように、一心不乱に鍋を洗い始めます。それを見かけた農婦が「何であんたはウチの鍋を洗っているのか」と問いただすと、大作は土下座をして詫び、事情を話します。すると農婦は「よっしゃ、鍋蓋買ってやろう」と言い、ようやく初めての商いに成功するのです。
 夜も更けてようやく家路について大作は、近くのお地蔵さんの前で、ずっと手を合わせて大作の無事と商いの成功を祈っている母親の姿を見て、自分がどれだけ親に愛されているのか、両親がなぜこんなに冷たい仕打ちをしたのかを知る……。そんなストーリーです。


 この作品を観て心を打たれるのは、わが子の成長のために、心を鬼にして突き放し、でも陰ではずっとわが子を思い、祈り続ける母親の姿。そして、「鍋蓋売り」の意味を理解し、誰一人大作に手を差し伸べようとしない親戚や地域の人々の断固とした態度です。誰だって、幼い子どもが涙を流しながら、不慣れな商いをし、一日中歩いている姿をみれば、同情したくなるでしょう。でも、もし誰か一人でも「可哀相だから、鍋蓋くらい買ってやるか」と甘やかしてしまったら、一番辛い思いをしているはずの大作の両親の思いをすべて台無しにしてしまうことを、周囲の大人がみなわかっているのです。

 中学受験という厳しい世界に挑むのも、大作と同じ12才の子どもたちです。夜遅くまで勉強をし、朝早くから学校に行き、そして塾に通ってくる。ついつい居眠りを始める生徒もいます。なかなか成績が上がらない。テストの成績が悪いとクラスが落とされる。親からも叱られる。さぞかしストレスも溜まるでしょう。
 私自身は地方の国立の小中一貫校に通っていたので、中学受験の経験はないし、小学生のころに塾に通った経験もありません。だから、「本当によく頑張るなあ」と心の中では感心しながら、それでも宿題をやってこなければ叱り、居眠りをしていれば、たたき起こして「顔洗って出直してこい!」と命じます。「可哀相だから」と少しでも甘やかしてしまえば、ご両親の願いを無にすることになりかねないからです。

 もちろん「鍋蓋売り」と受験勉強とをまったく同列に論じることはできません。面白くてわかりやすい授業をすれば、それだけ学習効果は上がるし、「突き放す」よりも、励まし、努力を認めてあげるほうが、今の子どもたちは伸びます。でも最終的には、子どもたちの成長のために、心を鬼にして「受験」という「戦場」に送り出さなければならない。そのために、ときには絶対に甘えを許さない断固とした態度をとる必要があります。そしてその断固とした態度を、親と我々教師全員が共有し、絶対に「逃げ道」を作ったり、「駆け込み寺」になったりしないようにしなければなりません。


 だから、涙を浮かべているお母さんに、私たちはこう言います。「お子さんが本当に頑張っていると思うなら、親はもっと強い気持ちでわが子の可能性を信じましょう。そして仮にどんな結果に終わったとしても、最後までやり遂げたことを祝福してあげる覚悟をしましょう」と。
 受験勉強を通して子どもたちが得るものは、志望校の合格通知だけではありません。中学受験はゴールではなく、新たなスタートラインです。だからこそ私は、毎年ストレスで胃がキリキリする思いを繰り返しながら、でも教え子たちの成長と新たな巣立ちの瞬間に立ち会うことができるこの仕事が、いつまでもやめられないのです。