啓明舎(けいめいしゃ)|難関中学受験名門/「偏差値」って、なんだろう?

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「偏差値」って、なんだろう?

「ウチは65と63が2人、あとは60以下ばかりだからなあ。オタクは?」
「ウチも64が2人いるけど、あとは58と60だから、厳しいなあ・・」
いまから20年以上も昔の2月3日の早朝。某超難関国立付属中の門の前で、教え子たちを激励するために立っていた私の耳に入ってきたのは、同じ大手塾の腕章をまいた2人の塾教師の会話でした。
受験生をもつ保護者であれば、なんとなくこの会話の意味は理解できるでしょう。
大手塾の別の教室に勤務している同僚同士が、私と同じように激励すべき教え子の到着を待ちながら、
「今年、ウチの教室からここを受験するのは、偏差値が65と63の生徒、あとは偏差値60以下の生徒だから、見込みがあるのは2人くらいかなあ」というような情報交換をしていたわけです。

「偏差値63の生徒」という場合、この「偏差値」はふつう、6年の9月~12月頃に4回ほど実施される大手模試の平均値をさします。
過去にその学校を受験した生徒の合格率(何人中何人合格しているか)と「模試平均偏差値」の相関関係をとると、たとえば偏差値65以上なら80%以上が合格している、偏差値60なら50%、偏差値57なら20%といったデータを得ることができる。だから、その模試を何回か受験させて「平均偏差値」をとれば、どの学校にどの程度の確率で合格できるかがわかるので、たとえば、「合格可能性50%」程度のA中をメインの志望校として2月1日に受験し、2日は確実に合格できそうなB中を「おさえ」(すべり止め)として受験し、もしA中に合格できたら、合格可能性は20%以下でも3日はC中にチャレンジする、といった受験作戦を組むことができるわけです。
こうした模試データを活用した受験作戦には、確かに「ある程度の妥当性」があります。なぜ「ある程度」なのかというと、
①中学入試の問題は学校ごとに配点や難易度、出題傾向にさまざまな個性があるため、共通の問題で実施した模試の成績だけでは判断できない
②1万人以上が受験する模試であっても、1つの学校を受験する生徒はせいぜい数百人程度であり、また同じ学校であっても、2~3回入試を行う場合が多く、日程によって難易度も倍率も異なるため、統計的に有意な結果を抽出するにはデータの数が少なすぎる
③複数回入試を実施する学校の多くは、その学校を第1志望校として「熱望」する受験生が有利になるように、「優遇措置」(一定の点数を加点したり、ボーダーライン上の受験生に関しては「熱望組」を合格させたりする)をとるケースもあるため、模試の結果通りに合否は決まらない
など、さまざまな不確定要素があるからです。
模試の回数を増やし、分野ごとの正答率なども細かく入力し、他方で学校ごとの配点比率(4教科の配点も学校によって異なります)や出題傾向の違いをデータ化して、双方を照合させて、より精緻に「合格可能性」を判定することも不可能ではないでしょう。でも、どこまでデータを蓄積しても、所詮は人間の所業、まして幼い12才の受験生の人生最初のチャレンジなのですから、当日の体調とか、どんな問題が出題されたかとか、いろんな要因によって、番狂わせやら大逆転が起こりうる。それが受験というものです。

統計学的な不確定性という問題とは別に、私は「模試の平均偏差値」をその子の学力の指標として用いる発想にも疑問を感じます。つまり「偏差値55の生徒」というレッテル貼りが性に合わないのです(「偏差値52の学校」というレッテル貼りにも、強烈な違和感を感じています)。
私たちの塾でも4年から6年の12月まで、月2回のペースでテストを実施していますが、最近は熱心な「お受験パパ」が増えてきて、過去の塾内テストと大手模試の結果をすべて表計算ソフトに入力し、個人面談のときにカラー印刷したグラフを持参して「ウチの子の平均偏差値は57だから、すべり止めはD中で大丈夫ですよね」などと「持論」を展開されるケースが少なからずあります。「我が子のために、自分も何かしてあげられないだろうか」という保護者の思いは痛いほど理解できますが、でも、大切なのは過去ではなく明日、平均ではなく「蓄積」です。

いまから4年ほど前、あるスポーツ番組で「イチロー」の特集が放映されました。イチローといえば、日本での通算打率.353、2000年には日本プロ野球史上歴代2位の.387という、想像を絶する大記録を打ち立てた大打者ですが、そのイチローが記者のインタビューに、こんなふうに答えていました。
「自分は打率にはこだわっていない。自分が目標としているのは年間200安打という記録である。なぜならば、ヒット(安打)の数は減ることはなく、着実に積み重ねていくしかないが、打率は凡打をする(アウトになる)と下がってしまう。だから(打率を下げないために)打席から逃げたくなる自分の弱い心が必ず出てきてしまうからだ。」
野球に興味のない人に説明するのはとても厄介なことなのですが、「打率」というのは、要するに「平均」です。たとえば計算問題を4問解いて3問正解だったら「正答率7割5分(75%)」だけど、もしもう1問解いて、それが不正解だったら5問中3問だから、「正答率」は6割(60%)に下がってしまいます。もし「正答率」で学力が測定されるとしたら、「次の問題を間違えると正答率が下がるから、もう問題を解くのはやめちゃおう」という「弱い心」が芽生えてくる。
実際、プロ野球の世界でも、「最高打率」とか「勝率」というタイトルを獲得するために、シーズン終盤になると、試合の途中で他の選手と交替したり、試合を欠場したりして、「打率」が下がらないようにするという、姑息な作戦をとることがあります。
プロ野球の世界では、「打率」が「野球選手としての能力」をはかる指標として定着しており、その数値次第で翌年の年俸が上がったり下がったりするようですから、厳しい生存競争を生きていくための知恵も必要なのかも知れません。でも、少なくとも人生でたった1回のチャレンジをする受験生にとって、「模試の平均偏差値」などは「糞食らえ」です。
数年前、全部で15校の入試を受け、ものの見事に不合格を続け、最後の最後に「第2志望」の学校の合格をかちとった教え子がいました。通算成績は「1勝14敗」(勝率」は0.067!)。「大相撲だったら、とっくに『欠場』していたかもしれませんね」と、父母会でそのエピソードを話すたびに笑いをとっている「伝説的な記録」(笑)です。
でも、仮に「15戦全勝」だったとしても、15校に進学できるわけではありませんし、何よりも。最後まで諦めずに挑戦を続けた末の「1勝」にどれだけの価値があるか、説明するまでもないでしょう。

模試の成績だって同じです。結果がよくても悪くても、「なぜ失敗したんだろう」「どこを復習すればいいんだろう」「よ~し、次こそは頑張るぞ」という気持ちを忘れなければ、それはすべて「蓄積」になります。
「平均偏差値」や「打率」を計算してため息をついている暇があったら、
「あのイチローだって、自分の心の弱さと戦い続けてきたんだ」
と、闘志を奮い立たせましょう。君たちが目指すのは「平均」ではなく、「最後の1勝」であり、そのためにはすべてを「経験の蓄積」として受け止める気持ちなのです。