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たとえ結果が出なくても中学受験の経験は「一生の宝物」だ

入試直前3か月間の思い出

今年の入試も、たくさんの喜びの声といくつかの無念の涙を残して、終焉を迎えました。

思えば11月頃から1月末までの約3か月間、私の最大の楽しみである「深夜にバーボンを飲みながら本を読む」時間はほとんどありませんでした。そのかわり「深夜にバーボンを飲みながら入試問題の過去問を解いて」いました。

夏期講習が終わり、個人面談で志望校が決まると、教え子たちは自分が受験する学校の「過去問」に取り組みます。そして授業前後の質問時間や日曜特訓のときに、答案を添削したり質問に答えたりするのですが、今年の教え子たちが受験した学校、いわゆる男女御三家やら灘やら豊島岡・聖光・渋谷幕張などの超難関校の問題は、その場で即答できるようなレベルではありません。だから事前に「質問対応スケジュール」を組み、前日に予習して、わかりやすい解き方・教え方を考えておかないと、「質問の行列」ができてしまうのです。まあ私も来年は「還暦」ですから、「ボケ防止」にも役立っていたのかもしれませんけどね。

なぜ中学入試問題は難しくなったのか?

超難関校の問題が難しくなると、その学校の「併願校」も、類似した傾向や難易度の問題を出題するようになります。さらにその学校の「併願校」も……というように、玉突き式に問題が難化していきます。

入試問題が難化した大きな転換点は、2002年の新学習指導要領でしょう。

かつては、ごく一部の学校を除けば、一応「小学校の学習指導要領に含まれる単元」から出題されていました。そこから逸脱した問題を出題すると、「所轄官庁」から「こんな難問を出題するから、小学生が受験戦争の犠牲になっているのだ」と「お小言」も頂戴したりしていました。

しかし2002年以降、小学校の学習内容が大幅に削減され、教科書はペラペラになります。「これでは、適正な学力を診断する入試問題は作れない」「このままでは深刻な学力低下が懸念される」。ということで、小学校の教科書は基本的に無視。学校ごとに「この程度の学力は身につけておいてほしい」という選抜基準を設定し、実際の得点分布や入学してきた生徒の学力レベル、さらには他校の入試問題なども参考にしながら、この十数年の間に、独自の「中学入試文化」が形成されていったのだと思います。

特に中学入試の難問として取り上げられるのは算数ですが、この点については『中学への算数』(東京出版)という月刊誌の存在も無視できないでしょう。他校のユニークな問題や難問、それに対する解法や批評が掲載されている。「なるほどこれは面白い。じゃあウチも負けないように……」と、競い合うように問題のレベルが上がっていったのではないでしょうか(その点では「創刊準備号」以来20年以上もこの雑誌に記事を掲載している私も、君たち受験生を苦しめている一人かもしれません)。

しかし実際に難化したのは算数だけではありません。

かつて麻布の校長は「算数の問題が難しくなりすぎて、算数はできるけど、まともに文章を読んだり書いたり、他人とのコミュニケーションができないような生徒が入学してくるのは問題だ」と発言し、算数の問題を少しやさしくし、他の3教科の問題のレベルを上げました。他の難関校も同様に、特に国語の入試問題を「記述問題中心」にし、高校生や大人が読むような文章を素材とするようになりました。

理科と社会は「難しい」というより、小学校の学習指導要領から解放(?)されたことで、より「幅広い」内容が出題されるようになりました。もともと、大学入試では「物理と化学」というように4分野中2分野を選択するのですが、中学入試では理科も社会も全分野から出題され、さらに「時事問題」も当たり前のように出題されます。

国ごとに教育制度も受験制度も異なりますが、少なくとも12歳の段階でこれだけ難しい内容の受験勉強をさせている国は、他に例をみないのではないでしょうか。

入試問題が「難しい」のは決して悪いことではない

ただ私は、入試問題が難しくなったのが「悪いこと」だとは思っていません。問題が難しければ、それだけ「合格最低点」は低くなるからです。

4教科全体でみたときに、もっとも入試問題のレベルが高いのは麻布中学でしょう。ただ単に「難しい」のではなく、オリジナリティーにあふれ、最新の科学技術などもテーマとして取り上げ、知識の詰め込みではなく、幅広い好奇心や読解力・表現力を問う格調高い問題を、しかも毎年ほとんど同じ難易度とクオリティー(品質)に仕上げてくる。「こんなスゴい問題を作る先生たちに教わりたい(我が子を指導してもらいたい)」と思う、根っからの麻布ファンの受験生親子が大勢いるのも納得できます。

確かに問題は難しいのですが、麻布中の今年の合格最低点は105点(200点満点)。つまり「半分できれば合格できる」のです。しかもこの「合格最低点」も毎年ほとんど変動しません。合格最低点が低ければ、苦手教科があっても得意教科でカバーするチャンスが生まれます。4教科満遍なく、そつなく得点できる「優等生」より、「磨けば光る原石」のような生徒に入学してほしいという、学校の選抜方針なのでしょう。

麻布のように「ウチはこういう問題を出題します。合格に必要な点数はだいたい50%です」という方針を堅持しているのであれば、それは決して受験生全員の負担を増やすことにはなりません。麻布志望者以外はここまで難しいことを学ぶ必要はないし、麻布を志望する生徒は、自分の得意教科・苦手教科を自覚した上で、合格最低点をとるための勉強をすればよいからです。

それでも5人に3人は無念の涙を流すわけですが(倍率が2.5倍なので)、このレベルの入試問題を目標としてきた受験生は、たいてい第2志望には合格できますし、なにより、受験が終わったあと、中学・高校、さらには大人になったあとでも、12歳のときに学んだ経験は大きな財産になるでしょう。

他方、今年の開成の入試問題は、算数がびっくりするほどやさしくて、平均点が20点以上も高くなりました。合格者の平均点は73.9点(85点満点)ですから、限りなく満点勝負、ミス勝負。去年・一昨年と素晴らしい問題が続いていたので、「よ~し得意の算数をもっと鍛えて、開成に合格するぞ!」という意気込みで挑んだ受験生にとってはかわいそうな結果になったかもしれません。さらに男子御三家のもう1校、武蔵は、国語と社会で3か所も出題ミスがあり、受験生全員に得点を与えるという大失態を起こしました。国語と社会が苦手な生徒にとっては「ラッキー」だったわけですが、必死に勉強してきた受験生の努力を無にするような「手抜き問題」や「出題ミス」はなくしてほしいと、心から願っています。

ちなみに私自身は中学受験の経験はなく、高校入試で県立高校に進学しました。高校入試は「中学の内申点」と本番の入学試験の合計で合否が決まります。内申点が極端に低かった私は、入試で満点近い点数をとらなければ合格できないことがわかっていました。高校入試の問題は、いまの中学入試の問題とは比較にならないほどやさしいので、1問のミスが命取りになる。そういう受験でした。

問題が難しければ、その分だけ努力すればいい。それでも自分の力が及ばなければ仕方ない。

1問のミスで合否が決まる試験では、ひたすらやさしい問題を何度も何度も練習しなければならない。もしミスをしたら、自分の愚かさを呪うしかない。

少なくとも、個人的には「前者」のほうが、「やってやるぞ」という気持ちになるし、仮に失敗したとしても諦めがつく。だから基本的に「問題は難しいほうがいい」と考えています。

なぜ「2教科受験」はなくなったのか?

とはいえ、このような過酷な試練を乗り越えて難関校を目指すことができるのは、受験生全体のなかでもせいぜい3割程度、というのが私の実感です。

「残りの7割」の生徒には、受験勉強を乗り越えるだけの学力や素質がないといっているわけではありません。ただ、小学生には小学生としての生活があるのです。高校受験や大学受験のように、学校が受験のための指導をしてくれるわけではありません。むしろ小学校には、進学塾に通い、中学受験をすることに反対する教師が多い。だから中学受験生は、小学校から帰ったあとの夜と週末の時間、本来「家族や友だちと過ごす安らぎの時間」に塾に通い、受験勉強をしなければならない。とにかく圧倒的に「時間が足りない」のです。

かつては男子校とごく少数の女子校以外は、算数・国語の2教科入試でした。どの塾でも「難関校を目指す4教科コース」と「(主に)大学付属の名門女子校を目指す2教科コース」の二本立てだったのです。

しかし「バブル崩壊」により中学受験人口は激減し、「大学付属名門校」の看板だけでは受験生が集まらなくなった私学が「進学校」への転身を目指します。その頃から「2教科・4教科選択受験」が流行し、やがて大半の学校が「4教科受験」に移行しました。しかし大半の私学が4教科受験に移行すると、受験勉強のスタートが遅れた子や、習い事との両立などで「時間が足りない」子に対して、中学受験の門戸を閉ざしてしまう危険性があります。

だから私は、「4教科受験の方が学力の高い生徒が集まる」「理科社会の受験勉強をしてきた生徒の方が、大学受験でもいい実績が出せる」という私学の先生方に対して、「塾で指導できるのはせいぜい2~3年間、しかも平日の夜と週末だけですから、きちんと4教科の勉強ができるのは一部の生徒だけですよ。中高一貫校は6年間かけて指導できるのに、『4教科生のほうがいい大学に受かる』なんて、学校の教務力の低さを告白しているのと同じじゃないですか」と無礼な発言をして、2教科受験の存続を訴えたこともあります。だって、「できる生徒を集める」のではなく「入学した生徒を伸ばす」ことこそが学校の使命じゃないですか。

入試は誰のためのものなのか?

結局、いまは大半の学校が「4教科受験」になってしまっていますが、他方で(11月のコラムでも書いたように)「新傾向入試」という、一人ひとりの個性や学力特性を評価する入試が広まってきました。

しっかり4教科の学習を重ねてきた努力型の受験生が報われる受験、難問を出題するかわりに合格最低点を低くして、突出した才能をもった受験生が合格できる受験、ペーパーテストでは測れないようなユニークな才能をもった受験生を見つけ出す受験……、いろいろな受験のカタチがあっていい。

そのほうが、いろんな事情を抱えた、いろんなタイプの受験生にとって、中学受験という門戸が開かれる。それは歓迎すべきだと思います。そもそも、どんな受験形式にしても、結局はたかだか2~3年の受験勉強で身につけた「学力」にすぎません。それよりも「入学して6年間で身につける学力」のほうがずっと重要なはずです。

模試の偏差値を上げ、競争倍率を上げ、「できる生徒」を集めることにやっきになっている学校よりも、「縁あって入学してきた生徒を、6年間かけてどう育てていくか」を本気で考えている学校を応援したい。「学校のため」ではなく「受験生のため」の受験でなければならないと、私は思うのです。

いま大学入試制度改革についても、さまざまな議論や試みが進められていますが、大切なのは「入口」=入試制度よりも「中身」と「出口」。つまり大学教育の中身をもっと豊かなものにし、社会で、そして世界で活躍できる人材を育てていく教育をすること。そしてその教育についてこられない学生は進級・卒業できないような仕組みにすることで、より優秀な人材を社会に送り出してほしい。その肝心の「中身」のほうが整備できていないのに、入学制度ばかりをあれこれいじくってしまうと、結局は受験生の負担が増え、結果的に「合格すること」だけが至上目標になってしまうのではないでしょうか。

最後に~受験を終えた君たちへ~

本当は、中学受験を終えて、新天地での新たな人生のスタートに胸を躍らせている受験生の皆さんに、「お疲れさま」という一声をかけたかっただけなのに、長々と余計な話を書いてしまいました。ごめんなさい。

私がただ、超難関校に合格した人も、第1志望校に合格できず悔しい思いをしている人も、また「偏差値の低い」学校に進学することになった人も、「本当によく頑張ったね」と言いたかったのです。

小学校生活と受験勉強という「二足の草鞋」を履き、遊びたい気持ちもガマンして、学校から帰ったら塾通い、塾のない日も家で勉強、週末や祝日もテストや特訓。しかも中学入試の問題は、世界中でも例をみないほど難しい内容なのですから、本当に大変だったと思います。

「どうしてこんなに勉強ばかりしなければならないのか」と疑問に思ったことがあるでしょうし、「あんなに勉強したのに、どうして志望校に合格できなかったのか」と涙を流した人もいるでしょう。でもそれは、必ずしも君たちの努力が足りなかったからではありません。たまたま問題がやさしすぎたり、出題ミスがあったり、その学校の競争率が急に高くなったりといった「運」の要素も否定できないのです。

だから、どんな結果に終わったとしても、君たちが目標に向かって過ごした日々は決して無駄にはなりません。それは必ず君たちの人生における、かけがえのない貴重な体験、一生忘れられない宝物になるはずです。

だから、まずは4月からの新天地での学校生活を思いっきり楽しんでください。

私も、また新6年生の教え子たちのために全力で受験指導をすると同時に、君たちが、それぞれの新天地で活躍し、やがて自分で自分の人生を選び、自分の足で歩いていける立派な大人に成長していくことを、陰ながら応援しています。